仙台四郎(仙臺四郎)は幕末(1855年頃)から明治にかけて、現在の宮城県仙台市に実在した人物の「人神」としての名称。
実際に商売がうまかったり、何か素晴らしい芸ができたわけではない。諸説あるが、障害のため会話はうまくできず、いつも笑っているだけで、関わる周りの人々からとても好かれたらしい。
実家は伊達政宗公に仕えた砲術師を祖とする鉄砲鍛冶を営んでおり、その四男として生まれた。 街中を思うままに歩いて、気に入った店で食べ物や金品をもらっていたが、後で家人が支払いをしていたこともあり、粗雑に扱われることはなかったそう。
子ども好きでいつも機嫌よく笑っていたが「四郎馬鹿」などと陰口をたたかれることもあった。四郎が入るお店は不思議とその後に人がよく集まり繫盛するようになったため、「福の神だ」と評判になり、多くの店で無料でもてなされるようになったが、自分が気に入らない店には招かれても決して行かなかったらしい。
本人が亡くなった後、仙台市内のある写真館が「四郎の写真を飾れば商売繁盛のご利益がある」と謳って写真販売を始めた。没後は四郎の意志とは無関係に、四郎の関連商品を飾ればご利益が得られると民間で崇拝された。
現在も仙台市で商売繁盛・家内安全をご祈願する加持祈祷をされている三瀧山不動院では、関連商品の通信販売等されているようです。
仙台四郎の由来・三瀧山不動院
仙台市中央通にある、三瀧山不動院のご紹介です。